犬といた日々:犬が来た(クロ)
中学2年の終わり、13才になったばかりの頃である。私は、左肩の鎖骨骨折で、胸から肩に掛けてギブスを巻かれ、左手を三角巾で吊っていて、不自由でつまらなく過ごしていた。グランドを均すコンクリート製ローラーの鉄の弾き棒をはずして、鉄棒代わりに遊んでいて骨折したのだ。級友と交替で遊んでいて、私が逆上がりをした時に、級友が支えきれなくなって肩から落下したのである。人生で二回目の骨折だった。
そんなことがあってつまらなく過ごしていた時に、長姉からの手紙が届いて、子犬がいるので飼わないかというのであった。母とのやりとりは記憶にないので、すぐに承知してくれたのだと思う。さっそく、ギプス、三角巾の格好で犬を貰いに出かけたのである。
姉は、東北本線で四時間ほどの南の町に嫁いでいた。犬好きの義兄が仔犬をもらったものの、まだ借家暮らしで飼うのは難しいという、夫婦の結論になったらしいのである。
姉の家に着いて、さっそく犬に会ったのだが、子犬ではないのである。手紙のやりとりのうえ、中学校の春休みまで待つ間に十分に育っていたのである。義兄は、もうこれ以上大きくならない、としきりに言う。母と二人ぐらしの家でも飼うのに不都合はない、大丈夫、と言いたかったらしい。
Photo A 家に来てすぐの頃のクロ。もうこんなに大きくなっていた。(昭和35(1960)年4月)
この黒犬は、「チッキ」として貨物列車に乗せられ、我が家に送られた。先についた私が、駅で待っていると、「おとなしい犬だね」と言いながら駅員さんが運んできてくれた。その後、この犬はおとなしいという評価を返上する。
見た通りの黒犬は、じつに簡単に「クロ」ということになった。 母と私では、命名にあたっていろいろと考えをめぐらす、などということはないのである。猫を飼い始めたときも、茶トラだったので、あっさり「ニコ」と名付けられた。単純に二毛、三毛からの連想である。
この名前の単純、率直さは実に有用で、町中の人は容易に名前を覚えてくれることになる。時代と田舎という場所に許されて、この犬は、町中を歩き回り、私を知らない人でも、クロを知っている人は大勢いたのである。
私は17才で家を離れた。往復五時間ほどかけての高校通学では勉強がままならない、と心配した兄たちの決断で、仙台の知人の家に預けられたのである。人生のほんの一時的なことのような気分で家を出たが、それっきり仙台で暮らしつづけている。
私が家を離れると同時に、クロは母とともに次兄の家に移った。長兄は婿養子となって家を出ていたので。次兄が家を継いだのである。継ぐべき財産もなく、母は借家を明け渡して同居したのだが、当時の田舎では、家督、跡取りという考えは大切に残されていたのだ。
クロとは、年に数回会うだけになってしまった。私が結婚してまもなく、11年を生きて、クロは死んだ。
ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
……(中略)……
ネロ
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
谷川俊太郎「ネロ ─愛された小さな犬に」部分 [1]
[1] 「谷川俊太郎詩集」(思潮社 1965年) p. 122。
(2011年5月25日に書いてホームページに掲載していたものをホームページを閉じるにあたり、転載しました)。
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そんなことがあってつまらなく過ごしていた時に、長姉からの手紙が届いて、子犬がいるので飼わないかというのであった。母とのやりとりは記憶にないので、すぐに承知してくれたのだと思う。さっそく、ギプス、三角巾の格好で犬を貰いに出かけたのである。
姉は、東北本線で四時間ほどの南の町に嫁いでいた。犬好きの義兄が仔犬をもらったものの、まだ借家暮らしで飼うのは難しいという、夫婦の結論になったらしいのである。
姉の家に着いて、さっそく犬に会ったのだが、子犬ではないのである。手紙のやりとりのうえ、中学校の春休みまで待つ間に十分に育っていたのである。義兄は、もうこれ以上大きくならない、としきりに言う。母と二人ぐらしの家でも飼うのに不都合はない、大丈夫、と言いたかったらしい。
Photo A 家に来てすぐの頃のクロ。もうこんなに大きくなっていた。(昭和35(1960)年4月)
この黒犬は、「チッキ」として貨物列車に乗せられ、我が家に送られた。先についた私が、駅で待っていると、「おとなしい犬だね」と言いながら駅員さんが運んできてくれた。その後、この犬はおとなしいという評価を返上する。
見た通りの黒犬は、じつに簡単に「クロ」ということになった。 母と私では、命名にあたっていろいろと考えをめぐらす、などということはないのである。猫を飼い始めたときも、茶トラだったので、あっさり「ニコ」と名付けられた。単純に二毛、三毛からの連想である。
この名前の単純、率直さは実に有用で、町中の人は容易に名前を覚えてくれることになる。時代と田舎という場所に許されて、この犬は、町中を歩き回り、私を知らない人でも、クロを知っている人は大勢いたのである。
私は17才で家を離れた。往復五時間ほどかけての高校通学では勉強がままならない、と心配した兄たちの決断で、仙台の知人の家に預けられたのである。人生のほんの一時的なことのような気分で家を出たが、それっきり仙台で暮らしつづけている。
私が家を離れると同時に、クロは母とともに次兄の家に移った。長兄は婿養子となって家を出ていたので。次兄が家を継いだのである。継ぐべき財産もなく、母は借家を明け渡して同居したのだが、当時の田舎では、家督、跡取りという考えは大切に残されていたのだ。
クロとは、年に数回会うだけになってしまった。私が結婚してまもなく、11年を生きて、クロは死んだ。
ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
……(中略)……
ネロ
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
谷川俊太郎「ネロ ─愛された小さな犬に」部分 [1]
[1] 「谷川俊太郎詩集」(思潮社 1965年) p. 122。
(2011年5月25日に書いてホームページに掲載していたものをホームページを閉じるにあたり、転載しました)。
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