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犬といた日々――高所恐怖症(ホシ)

 1985(昭和60)年の8月初め、妻、息子(中1)、娘(小5)、ホシ(1歳半)と大東岳の南麓を流れる大行沢で2泊のキャンプに行った時のことである。私のイワナ釣りと大東岳の登山、それに子どもたちの夏休みイベントをいっぺんに片づけようというわけである 。
 ホシにとっては、残念ながら受難のイべントだったのであるが。


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Photo A 大東岳遠景(仙台市秋保、長袋地区から)。  (2010/5/8)

 大東岳は、奥羽山地の蔵王山群の北に位置し、小東岳、南面白山、面白山などと山群を形成している標高1365.8mの山である。仙台から小1時間で登山口に行ける手頃な山である。私の場合は、若い頃はイワナ釣りと登山の山であり、仕事が忙しくなった時期には大行沢沿いの往復3,4時間のトレッキング(散歩?)の場所であり、最近では山菜や茸狩りの山でもある。
 その頃は、もうそろそろイワナ釣りをやめようかと思っていた時分ではあったが、イワナ釣りで通い慣れていた大行沢にはテントを張るのに最適な場所が何カ所かあったのである。
 当時の私は自家用車をまだ持っていなくて、原付バイクで近郊の山や川に出かけていた。原付バイクは立派な道路の長距離にはむいていないが、でこぼこで細い山道には便利だったのである。
 キャンプ用の大きな荷物と家族を仙台駅発二口温泉行きのバスに乗せ、私は原付バイクの後ろの竹籠 [1] にホシを乗せてバスを追いかけるのである。ホシは涼しそうな顔で籠のなかでに坐っている。何度か乗っているのだが、いつも興奮もしなければ、恐がりもしない。いつも淡々とした表情なのである。
 バスの実際の終点は、二口温泉の先、大東岳の登山口のある本小屋となっている。大行沢沿いの道は、本小屋から2km程は旧林道であり、今は無理だが、当時は小さな車であればなんとか入れたのである。ホシと家族は本小屋から歩き、私はバイクで2往復して荷物を運んだ。林道の終点からはほんの少しの距離で、テントを張る。


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Photo B 水は嫌い。家族の水遊びが恨めしいホシ。 恐怖はこの後に。(1985年8月)

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Photo C 大行沢で泳ぎの特訓を受けるホシ。これで水嫌いは決定的に。(1985年8月)

 水に入りたがらないホシを抱いて浅いところに立たせる、ということから始めて、少しずつ足が届かないところに放すという段取りである。足が届けば何でもないが、腹に水がつくあたりでパニックが始まる。
 それでも、ホシに泳ぎを教える必要は全くなくて、深みで放せば、水に入れた瞬間はバシャバシャする(Photo C)が、すぐに岸に向かって普通に泳ぐのであった。泳ぎは本能的に上手なのである。しかし、自分からは決して水に入ろうとはしない。最後には林を突っ切り、逃亡してしまった。結局は、水嫌いを助長しただけの「訓練」なのであった。

 ファミリーキャンプらしく、夕食後は花火遊びである。。谷川の水音が下の方から聞こえるだけの、真っ暗なぶな林の中の線香花火はいつもより大きく輝くように見え、子供より妻のほうが夢中になる。ホシは花火には関心がないふりをしているが、本当は少し苦手なのだ。
 ホシが興奮し始めたのは、4人と1匹が狭いテントの中で並んで寝ようとしているときであった。当時のホシは、まだ庭で暮らしていて、たまに家に上げてもらうだけだったからである(その後まもなく、庭の犬小屋を使うことなく、フルタイムの家犬になった)。
 ホシの興奮を静め、たった一人で泊まった山小屋経験から、「人間世界の出すノイズのない夜の山は、遠くや近くでなにかの動物の移動する音が木々をかすめる風の音に混じって、じつに賑やかなのだ」などと子どもたちに話して聞かせたものの、そこでは渓流の音しか聞こえないのだった。
 みんなが聞こえない音を聞こうと耳を澄ませているとき、ホシは体を起こし、耳を立て、低くうなり声を少し上げたのである。外に出たがるので、テントを開けると、入口まで出て、ブナの原生林の急斜面を見上げて、ときどき低くうなる。
 私たちは、少しの興味とそれより大きい恐怖に押されて、テントから顔を出してホシの見つめる方向を見るのだが、もちろん真っ暗で何も見えない。耳を澄ましても、あいかわらず、谷川の音ばかりで何も聞こえない。
 じわじわと増えていく不気味さに私たちは声も出せなかったが、ホシはフッと緊張感を解くと、さっさとテントに入って横になってしまった。何があったのかわからないまま、私たちも少しは安心して眠ることにしたのだが、妻はとっくに熟睡中なのであった。

 ホシは性格の穏和な犬である。「気ぃつかい」で、あまり犬らしくないのである。基本的なしつけをするときでも、すぐに身につける犬だった。眠りに入りかけの頭でホシのことを考えていたとき、さっきの緊張感漂う警戒の姿勢は、昼の水泳訓練への仕返しではなかったのか、などと思ってしまい、思わず寝ているホシの方を見ると、私の体の動きに反応して、ホシもこっちを見上げているのだった。

 次の日は大東岳登山だ。朝と昼の弁当を持って、夜明けとともに出発である。いったん本小屋の登山口まで下り(実際はほとんど平坦だが)、立石沢にそったコースを上る。頂上直下に鼻こすり坂という急坂があるだけのこのコースを登り、「弥吉ころばし」の急坂から大行沢沿いの道を降りのコースとするのが普通である(私の場合は)。
 家族の荷物を背負う私だけが、ヒーヒーいっているだけで、4才くらいから山に来ている(最初は私の背中の上でではあるが)息子も娘も、ホシも妻(ゆっくりの長距離に強い)も軽快に路程をこなす。
 みんなの前後を飛び回りながら快適に飛ばしていたホシも、鼻こすり坂をすぎて頂上台地に着く頃には暑さにばてて、走って前に飛び出しては、溝状にえぐれた登山道にぴったりと伏せて、腹を冷やしているのである。私たちが通りすぎてもしばらくはその姿勢を保ち、ふたたび私たちを追い越して、先で体を冷やしながら私たちを待っているのである。


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大東岳周回コース  (地図のベース:「プロアトラスSV4」)

 頂上から少し降り、台地の南端からの蔵王方向の眺望をゆっくり楽しんだ後、弥吉ころばしと呼ばれる急坂を下る。沢に出るまで一挙に下ろうということになった。この決断がホシの悲劇の始まりであった。
 この急坂には前を向いてそのまま下れないような高い段差がいくつもあって、子供や妻に指図したり手を貸したりで忙しかった私は、軽快に走り下っているように見えるホシに気を配る余裕はなかったのだ。犬としては長時間水分補給がなかったのである。
 弥吉ころばしの急坂が終わって、道は「がくり沢」 [2] の左岸に直角にぶつる。水音か水の匂いかで谷川の水を感じたホシは、渇きに負け、水に向かって突進したのだ。薮を分ける音に続いて「キャゥン」というような悲鳴一つを残して、何の音もしなくなったのである。崖下へ転落したのだ。
 崖を降りることもできない私たちは、急いで沢の出会いまで登山道を下った。長く感じたが、たぶん5,6分で沢に出会い、ザックを下ろし、子どもたちをその場で待たせて、沢を登った。さいわい小さな沢で水も少なくて歩きやすいのだが、底は岩盤で、ここに叩き落ちたのかと思うと、気が気ではない。
 現場下に着くと、ホシが駆け寄ってきた。抱きとめて、体を調べてみたが、どこにも怪我はなさそうで、ひとまずはほっとした。現場から一歩も動かずにいたのは、崖上に私たちがいるものと思って、なんとか戻ろうとしていたためらしい。 


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Photo D 「遭難」現場のがくり沢(ケヤキ沢?)。登山道は右手より直角に沢の崖上まで来て左折し、この沢の左岸を、手前、樋の沢に向かって下る。 (2007/8/11)

 みんなで心配したけれども、これはこれで無事に終わったのだと私も家族も思っていた。ホシも落下する前と変わらず、愉しそうに山道を歩いてついてきたのである。
 その晩はテントでの2泊目で、昨晩のようにホシの警戒行動に脅かされることもなく、みんな熟睡できた。翌朝は、またイワナをたくさん釣って、そのなかから焼き魚に適当なサイズを3匹選び、留守番をしているおばあちゃんへのお土産に帰ってきた。こうして夏休みのキャンプは楽しく終わったのだった。そのはずであった。

 家に帰れば、ホシもいつもの暮らしに戻る。そこには私といっしょに出かける朝と夕方の散歩もある。

 私の家は仙台の市内を流れる広瀬川の河畔にある。広瀬川は仙台城趾のある青葉山丘陵を切り裂くように東流し、市街地に入るとすぐ南に流れを変え、竜の口渓谷を合わせる。つまり、広瀬川と竜の口渓谷に囲まれた天然要塞に伊達政宗は居城を構えたわけである。
 広瀬川を境とすれば、私の家は仙台城趾側に位置している。したがって、たいていの外出は広瀬川にかかる4つの橋(どの橋を通っても仙台城趾と周辺の東北大学キャンパスに通じている)のどれか一つを通ることになる。
 ホシと私の散歩は、仙台城趾周辺から橋を一つ渡り、川向こうの大きな公園を通り、別の橋を渡って帰ってくることが多い。それ以外のバリエーションでも、どれか二つの橋を渡って周回するということがほとんどなのだ。

 キャンプから帰ってきた翌朝、いつものように散歩に出た。その日は一番近い橋を通って川向こうの公園に行こうとしたのだが、橋を歩き始めるとすぐホシは立ち止まってしまった。いくら声をかけても動こうとしない。強引に引っ張ろうとすると、足を突っ張って抵抗するのである。
 朝早い通行人が、ホシと私を見て笑って過ぎてゆく。少し恥ずかしいこともあって、そのまま引き返し、家の近くの堤防を少し歩いて、その日の散歩は終わりとした。
 それからの散歩もまったく同じであった。どの橋を通っても、3分の1も進まないうちに止まってしまって、前に進まないのである。一つの橋は歩道が4,5mほどある大きな橋で、ある時、その歩道の車道寄りを歩くと端の中頃まで達してから抵抗が始まったのである。
 ホシは橋の下、川や川原が見えると立ちすくんでしまう、ということにやっと気がついた。あの崖からの転落の恐怖がよみがえり、動けなくなるということらしい。高所恐怖症なのである。

 高所恐怖症のリハビリテーションが始まった、と書くと大げさだが、要するに餌で釣ってできるだけ橋の中央に誘い出すというごくごく単純な作戦である。さいわい、ホシは食べることに異常な意欲を持っている。好き嫌いははっきりしているが、食欲には絶対に勝てないタイプの犬である [3]。精神の病に食餌療法が効くのだ(人間だったら大発見だったのに)。
 1週間ほどで広い歩道の車道側であれば、その橋を渡ることができるようになった。それでも、欄干側に近づいたりするとやはり歩けなくなる。手を変え品を変え、とはいうものの、変えたのは餌の種類だけだが、1ヶ月半ほどで喜んで渡るようではないが、抵抗はしないでどの橋も渡れるようになった。
 薬や化粧品と同じように、高価な餌ほどよく効いた、というのはどうしたって思い過ごしだけれども、散歩ではたっぷりと、しかも高価な純粋な肉系の餌をもらえるというホシの信念からの脱却、新しいリハビリテーションにはもっともっと長い時間がかかったのだった。



〔1〕 当時の私は、道具の多い鮎の友釣りでは釣り道具を入れた竹籠をかついで川に通っていた。行商人が担ぐような角形の大きなもので、上面には道具がこぼれないように手編みの口絞りネットを張ってあり、15~20kg程度の犬なら十分におさまるのである。
〔2〕 事故現場から7,8分下って沢に出た付近に「がくり沢」の表示があった(Photo E)ので、この沢をがくり沢だと思いこんでいたが、ある登山案内では「ケヤキ沢」と呼んでいる。詳細はわからないが、がくり沢はケヤキ沢の支沢の可能性もある。

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Photo E 「遭難」現場から7,8分下ったところにあった「がくり沢」の案内表示。ある登山案内では「ケヤキ沢」とあって、その関係は不明。  (2007/8/11)
〔3〕 これは、ずっと後のことだが、娘が友人たちと広瀬川の川原で芋煮会(地方伝統の秋のピクニック。肉と里芋の入った鍋を囲む行事)をしたとき、、ホシも同伴してごちそうになった。ほかにも大勢のグループがいて、それぞれがホシに鍋をふるまったのである。食べ過ぎたホシは薮のなかで頂いたものを戻して、ふたたび愛想を振りまきながら貰い続けた、と娘があきれていたことがあった。そんな犬である。

(2011年9月7日に書いてホームページに掲載していたものをホームページを閉じるにあたり、転載しました)。



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プロフィール

小野寺秀也

Author:小野寺秀也
山歩き、アユ釣り、ヤマメ釣り、山菜採り、茸狩り、花いじり、読書、美術館巡り、街歩き、などが趣味。加えて、犬と遊ぶこと、ぼんやりしているのも趣味の一つです。最近は、原発事故による放射能汚染で魚、山菜、茸は諦めています。

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