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犬といた日々:犬が来た(イオ)

 3ヶ月ほどは死んだホシのことをぶつぶつ言い合いながら暮らした。死んだ犬の思い出話は楽しくない、犬の悲しみは犬にしか慰められない、などと言うことも口の端にのぼるようになると、新しい犬だという結論まではあっという間であった。
 妻が、仙台市の動物管理センターで月初めに生後3ヶ月の仔犬の譲渡会があるということを調べてきて、さっそく申し込み、12月1日に妻と勇んで出かけたのである。だが、これはいくぶん辛い経験であった。
 譲渡候補の仔犬は15匹前後、譲渡希望者はたった5組、しかもそのうち2組は気に入った犬がいないとそのまま帰ったのである。私たちは顔を見合わせ、何も言えず、残った仔犬の行く末を想像しないようにしていたのだ。
 すぐに私たちは15匹の中から1匹を選んだ。その犬の檻の前後には、良く似た仔犬が入っていて、兄弟/姉妹犬の1匹らしかった。15匹のほとんどは、がやがや話し声を上げながら檻の前を行ったり来たりする人間たちに半分は怯え、半分は声をかけられたいのか小さな尾をしきりに振っているのだ。
 そんな犬たちの中で、怯えもせず、尻尾も振らず、斜に坐って、前面の網に右肩で寄りかかって通りすぎる人間たちを眺めている犬がいたのだ。
 その犬を見たとき、「はすっぱ女」という言葉が浮かんだ。3ヶ月の仔犬にはまったくふさわしくないが、田村泰次郎の小説に出てくるような、戦後の混乱期をたくましく生きた娼婦たちのイメージである。絶望やあきらめを通り抜けたような、静謐さ、無表情で、しなだれかかっているのである [1]。
 その「はすっぱ女」が気に入って、妻のほうを見ると、どうも妻もその気になっていたらしく、決定は躊躇なかった。あとは、抽選はずれにならないよう、他の人に気に入られないことを祈るだけである。「はすっぱ女」はやはり牝であった。


イオ-1
Photo A これが「はすっぱ女」。これから動物管理センターから我が家に向かう。(平成12(2000)年12月1日)

 仔犬は助手席の妻に抱かれて我が家に行くのだが、25分ほどのドライブの最後に、妻の胸に吐いてしまった。その1週間ほど後にも車の中で戻したが、その2回を乗り越えると、無類の車好きになって私を困らせることになるのだ。
 ホシと同様、初めての我が家に戸惑い、不安そうであったものの、2時間ほどたったら居間の真ん中で長々となって熟睡しているのである。「しょうがない。この家で生きていこう。」と覚悟するのに2時間である。ホシは6時間ほど要した。大きくなっていたクロには初めから不安そうな様子はなかった。
 ホシは「星」だったので、月かなんかに因んだ名前がよいだろうということになったものの、「ツキ」は直裁でちょっと変、「ルナ」なんてのは気恥ずかしい。アメリカの探査機ガリレオが木星に向かって飛び続けている頃だったし、ホシは一番星、金星由来の名前なので、それなら木星の月(衛星)にしようということで「イオ」に決まった。
 「io」はゼウス(ジュピター)に誘惑されるギリシャ神話の女神に由来するのだが、これもネーミングとしては図々しいというか、いくぶん気恥ずかしさもあるので、女神の話は知らなかったことにしたのである(その時は)。


イオ-2
Photo D 我が家の初日のイオ。段ボール箱の臨時ベッド。(平成12(2000)年12月1日)

 イオは我が家での10年を、車で山へ出かけることを無情の喜びとして生きている。


[1] 「はすっぱ女」をけっしてネガティブに感じていたわけではない。前田愛は書いている。「きれいにうちならされた焼跡の瓦礫を地にして、いっさいの虚飾をはぎおとされたぎりぎりの人間の生が、鮮烈なイメージを浮上させる。『肉体の門』の娼婦たちの澄んだ瞳と、『雪のイヴ』の少女のつめたく、きびしい「肉体の部分」とが意味するものは、同じ方向を指し示している。いいかえれば、かれらがまのあたりにした荒廃の風景が放射している負のエネルギーは、めいめいの文学的個性の差異をこえたところで強力に作用しつづけていたわけであり、それは「虚無」というような手頃な言葉では要約しきれない何かなのである。」 (『都市空間のなかの文学』 筑摩書房、1982年、p. 419)。

(2011年5月25日に書いてホームページに掲載していたものをホームページを閉じるにあたり、転載しました)。


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犬といた日々:犬が来た(ホシ)

 息子が生まれ、娘が生まれ、二人とも小学生になり、犬を飼おうと皆で決めた。息子は小学5年、娘は3年になっていた。息子はずっと犬を飼いたいと言っていた。

「……一番ほしかったのはきしゅうけんの白のおすでした。ぼくが犬を買ったら、ほけんじょへいってきょう犬びょうのちゅうしゃをしてもらい、にわに犬ごやをつくってつないでおいて、おてとおすわりとマグニチュード六をおしえたいです。マグニチュード六はおしえられないと思います。できたら、テレビきょくによばれて、きしゃかいけんをされるでしょう。」 

 これは、小学2年の息子が誕生日のプレゼントのリクエストについて学級文集に載せた作文の1部である。「マグニチュード六」が何なのか、私にはまったくわからない。そんな言葉を息子から聞いたような気もするが、内容についての記憶はまったくない。
 とまれ、カワラヒワを飼ったのが唯一のイキモノ経験の妻とおばあちゃん(妻の母)の微妙な逡巡も、息子の作文から2年たったその頃には消えていたということなのである。

 地方新聞に個人発の情報案内のコーナーがあって、そこから「柴系の雑種の仔犬を譲りたい」という記事を見つけて、その家に連絡した。国道48号線(作並街道)、大崎八幡神社前で飼い主と待ち合わせということになった。
 私と息子と娘、3人揃って鳥居の前で待っていると、自家用車の後部座席に乗せられた2匹の仔犬がやって来た。1匹は茶と白のブチで、みんなで覗きこんでいるのに目も覚まさず寝込んでいるのであった。もう1匹は黒と白のブチで、起き上がって不安そうに私たちを見ている。
 こういうシチュエーションでは、ぐっすり寝ているほうが肝が据わっている良い性質の犬なのである。が、そうは思っても、眼を合わせてしまうと、あっさりと事は決まってしまうのであった。
 犬に関するつまらない知識はおくびにも出さず、「この犬にする?」と子供たちに聞くと、否も応もないのである。子供たちも眼を合わせてしまって、その眼を離せないでいたのだ。


ホシ-1
Photo A 初めて家に来た日のホシと息子。まだ少し緊張している。(昭和59(1984)年6月15日)

 こうして、黒と白のブチの仔犬が選ばれ、息子に抱かれて我が家にやってきたのである。日が長い季節であったが、すでに日は暮れかかっていた。大崎八幡神社から我が家までは、子供の足で30分近くかかる。子供たちととりとめもなく犬の話をしながらの道は、記憶の中でも最良の散歩の一つである。
この道で犬の名前が決まった。夕暮れ時で、息子は「イチバンボシ」が良いと言い、それでは長いから「ホシ」ではどうかと私が修正案を出し、娘がそれで良いと言って、黒と白のブチの仔犬はホシとなったのである。


ホシ-2
Photo B 少し緊張がとけて、おばあちゃんの側でくつろいでいる。(昭和59(1984)年6月15日)

 ホシは、最後の3年ほどは要介護犬としてその17年の生を生きて、平成12(2000)年8月3日に、前日に入院した動物病院で死んだ。8月1日に仕事で家を出た私が、リオデジャネイロの空港に降り立ったころである。それから2週間、ブラジルでホシの夢を何回か見たが、家には電話は掛けられなかった。
 ホシが死んだころには息子も娘を家を出ていて、家は妻と私、義母の3人だけになっていた。「もういい。もう十分。」 ホシの死を看取り、火葬から骨拾いまで一人でやった妻は、そう言うのである。
 私がやったことといえば、民芸店で小鹿田焼の小さな蓋付き壺を探しだし、紙袋に入っていたホシの骨を移し替えたことぐらいである。壺には入りきらず、残りは、ホシが犬小屋からいつも眺めていた庭のツバキの根元に撒いた。


 小舎が空っぽなのは
 犬が出かけているということ
 犬小舎の中に植木鉢が置いてあるのは
 犬が死んだということです。

         高橋順子「死んだ時計 5」[1]

[1] 高橋順子「詩集 普通の女」『高橋順子詩集成』(書肆山田 1996年) p. 260。

(2011年5月25日に書いてホームページに掲載していたものをホームページを閉じるにあたり、転載しました)。


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プロフィール

小野寺秀也

Author:小野寺秀也
山歩き、アユ釣り、ヤマメ釣り、山菜採り、茸狩り、花いじり、読書、美術館巡り、街歩き、などが趣味。加えて、犬と遊ぶこと、ぼんやりしているのも趣味の一つです。最近は、原発事故による放射能汚染で魚、山菜、茸は諦めています。

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