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- >> 2023.10
朝日が差し込み、窓一面にレトリスに絡むモッコウバラの影が映ります。
その混みあった枝の中で6,7羽のスズメが戯れていて、コトは飽きずにその影を追い続けています。
日差しを受けて少しず居間の気温が上がっていきます。
2022年11月17日午前8時17分をゆったりと時間が過ぎてゆきます。
街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也) 読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
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私は山歩きが好きなのですが、仙台で暮らし始めてから一緒に暮らしたホシとイオとは高くても低くても宮城県の山はほとんど登りました。犬連れなので日帰り登山に限定されますが、山形県や福島県の宮城寄りの山も登りました。
イオとの最後の登山は、2013年6月24日の仙台神室岳(1356m)でした。仙人沢を登るコースで8時間ほどの行程でしたが、コースの最後というころ、下り坂で私の方を向いたイオが腰が砕けるように座り込んでしまったのです。すぐに立ち上がりはしましたが、後肢に力が入らないようなのです。その時、13歳になったイオの登山はこれでおしまいにしようと決心しました。

その時の後のことをあるブログ(「「3月28日 脱原発みやぎ金曜デモ」 夕闇から夜を歩く!」)に書いていました。以下に、その一部の文章を転載しておきます。
手持ちのカメラを一眼レフに格上げしたのには、もう一つ理由があった。山でも街でも、犬と一緒に歩き回るというのが日々の楽しみだった。山登りや街歩きと同じように、犬と過ごすことも趣味の一つなのだ。
一緒に歩いていたイオが急に老いてしまった。たぶん、この春からの登山は無理だろう。連れて行けば、喜んで歩くだろうが、きっと辛い思いもするに違いない。一緒に歩くのは平地だけ、それが結論になった。
これからは私一人で山へ行くのである。イオがいない寂しさをどうやってやり過ごすかを思案した結果、山の花や景色をきれいに写すことに夢中になれれば、と思ったのだ。デジカメでそれなりにというレベルから、一眼レフでもっときれいにというレベルの趣味の一つにすれば、心の空隙を埋められるだろうと考えたのである。
あまり工夫をしなくても、前のデジカメとは比較できないほど写真の出来はよいようだ。夜の写真が気楽にとれる。今回は、マニュアル本まで購入して勉強したのだが、それほどかまえなくてもよく写るのだった。
腕がないものは道具が大切だ。「弘法は筆を選ばず」と世間の人はよく言うが、これは名人上手、天才にしか適用できない言葉なのだ。私たちのようなものが、書の天才、弘法大師と比べるなどという不遜を、世間の人たちがなぜやってしまうのか、私にはずっと不思議だった。凡庸な才能はいつだって、おのれの腕には頼れないのだ。(というのが、しぶしぶ一眼レフ・カメラの購入を認めた妻への言い訳である)。(2014年3月28日) 街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
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